カミヅキ記録帳

読書、映画、ゲーム、平沢進、ALI PROJECT、雑記。

SM奴隷から学ぶ「うつ」の治し方: 1700人の奴隷を従えた元女王様が教える「自己調教」のススメ

 

まずこの本を読んだところでうつは治りません。読者の気を引くために嘘にならないギリギリのラインでタイトルを付けてるだけです。本質的には「SM女王様の目線で人生観を語る自己啓発本」です。

格ゲーマーが日常を格ゲー用語でたとえたりするじゃないですか。「今日の飲み会はバクステした」とか。あれの延長線上みたいに思ってもらったら良いです。

 

以下がこの本の目次です。大丈夫、これでも人生語ってます。

 

第1章   
「目隠しを外せ」

・目隠しと垂れ流し
・変態のプライド
・あなたはS?それともM?
・生ぬるいのは浣腸だけでいい
・ドM≠マグロ
・女尊男卑
・女王様は非国民


第2章  
「女王様ストーリー」

・赤ちゃんプレイ
・誰にも言えなかった「いじめ」
・ストーカー事件
・鬱と不眠症
・「そうだ、女王様になろう」
・死への憧れ
・女王様の個人授業
・薄っぺらい輩
・SMクラブはどんな人が来るのか?
・アナル調教のモンスター
・SMとSEXは次元が違う
・流血プレイ
・女王様引退
・恋人の突然死
・露出しないのは罪


第3章
自己啓発なんて役立たず」

・SMは言葉の世界
・言葉は嘘の世界
・裸の王様的露出狂
自己啓発よりも「自己調教」
・SMクラブで見てきたもの、それは人生哲学だった


第4章
「痛み・苦しみを飼いならせ」

・汚されたい願望
・自分の尻にスパンキングしろ
・“自分にご褒美”という発想は捨てろ
・自己調教のすすめ
・まとめ


では、これまで鋼鉄の扉に閉ざされていた
痛みと快楽の世界へご案内しよう。

 

女王様はMの視点を必ず持たなければいけない

著者は女王様を始めるにあたって、まずは先輩女王様から女王様講習としてドMになった気分で縛られたり、鞭でしばかれたといいます。

勿論、真面目な講習なので、二人とも淡々とやっていたが、そのとき私は「女王様に責められるのも悪くないな」と感じたものだ。いやむしろ恍惚とした気分になるものだった。責められてみなければ、責め方を描くことはできない。もしあなたが、一流のサービスを提供したいのなら、自分も一流のサービスを受けなければならない。(本文より引用)

「ただ責めていれば女王様になれるわけではない。良い責め方と悪い責め方があって、女王様は責めながらも相手の気持ちを推し量らないといけない」と。

冒頭に私が書いた「SM女王様の目線」って何やねんという話なのですが、「SとMの両方の視点を持っていないと辿り着けない超俯瞰視点(=客観的な目で物事を見ること)」ということなのです。

 

SとMも善悪も美醜もすべては人間が決めている

女王様はSでもあり、Mでもあるということはわかりました。では、生まれながらのSは女王様になれないのかというと、そうではありません。

自分という存在は外部によって作られるものであり、この世に自分一人しか居ないとしたら、比較の対象がないため「優しい人」「存在感のある人」とは言えないだろう。人間の存在価値というものは、相手がいて初めて証明できるのである。よって、単独で「私はSです」「僕はMです」という位置づけはあり得ない。(本文より引用)

SもMも、あくまで人間との関係性を表す属性である以上、単独では存在しえない。そんなジャンル分けは嘘っぱちであり、すべてはただの解釈です。

考え方によっては、女王様は奴隷のリアクションによって責め方を変えさせられているのだから、奴隷に操られてると言えなくもないわけです。

それはSとMだけでなく、善悪や美醜のようなありとあらゆる価値観に当てはまる話で、自分の居場所をぽんと変えることが出来れば自在に立ち位置や価値観を操ることが出来ると著者は言います。

 

過程を楽しむ「自己調教」

 もし今、痛みや苦しみの渦中にいるとすれば、喜ぶがいい。なぜなら、幸福感、快楽を得るには痛み、苦しみが不可欠だからだ。一方の振れ幅が大きいほど、両極にまで視野は広がりそれは物事を俯瞰する抽象的思考に繋がるのだ。(本文より引用)

何の本かもう分からなくなってきましたが、SMではフィニッシュよりも登りつめるまでのプロセスこそが大事だと言います。その過程こそが、奴隷に快楽を期待させるものであり、ご褒美でもあると。

人生においても、自分をカス奴隷だと思い込み、痛みや苦しみをすべて快楽までの過程と考える。自分の中に女王様を住ませて、自己を調教し、苦痛(=快楽)を与えることが人生において重要だということらしいです。

 

最後に、挟む場所がなかったけれども個人的に良いなと思った文を紹介して終わろうと思います。 

 結局、人間は「絶望」を味わわなければ、自分が生きてるのか死んでるのか分からないのだ。最初から「絶望」を避け、毎日がハッピーなんて言っている人は、頭のおかしなインチキスピリチュアル人である。それは「絶望的無知」(絶望を素通りし、真剣に人生と向き合っていない人)でしかない。だが、反対に絶望の取り扱い方が分からず、絶望だけを強調するやつは、承認されたいかまってちゃんだ。(本文より引用) 

)